
| 山梨ワインの歴史 | |||
| 第四話 | |||
| さて、祝村葡萄酒会社(大日本山梨葡萄酒会社の通称)は一年目に二万七千リットルのワインを生産して順調なスタートを切ったかに見えましたが、翌年の生産量は五千四百リットルと激減しています。 販売が思うように伸びなかったことが大きな問題で、もともと日本のワインはブドウ栽培とセットの官業の産業振興事業の一つで、米が不作のとき清酒のかわりにワインを飲んでもらえば、少しでも米不足の助けになると考えたのですが、ワインが好まれないかもしれないという心配は全く頭に無かったようです。 しかし、いかに文明開化の時代とはいえ、嗜好品である清酒に代えて、当時肉食とはほとんど無縁の人達にワインを常飲してもらうのはかなり無理があったのではないでしょうか。 確かに当時は文明開化の影響か、リキュールやウイスキーの模造品が出回りはじめました。これらの商品も売り上げは少なかったのですが、原料が安いわりにけっこう高い値段で売れて、事業としては成立していたのです。 それに比べ、原料に生食用品種を使う日本のワインは、ぶどうの価格が青果物の相場と切り離すことが出来ず(これは、今日も続いている日本のワインの宿命的な課題である)、高い原料に見合っただけの売り上げも上げられなかったため、事業として成り立たないと判断された祝村葡萄酒会社は明治十九年に解散してしまいました。 官業からは完全に見放されてしまった形の祝村葡萄酒会社の事業ですが、土屋竜憲、宮崎光太郎、土屋保幸の三人が共同で譲り受け醸造を再開することになります。 (つづく) |
|||
| 第三話 | |||
| 「大日本山梨葡萄酒会社」が創立された明治十年、この会社から二人の青年がワイン醸造法習得のためフランスへ留学しました。 当時十九歳の土屋竜憲と二十五歳の高野正誠の二人です。 留学期間は一年間と決まっていました、その間に葡萄の栽培とワインの醸造を、しかも一度の機会で学ぶことは大変な重圧だったでしょう、しかし当時としては立派な技術と知識を得て帰国し、山梨でワインを造り始めたのです。 こうして山梨ワインの基礎を築いた二人の肖像画は、勝沼町のシンボルマークにもなっています。 このとき実は、この留学を最も強く希望したにもかかわらず、父親の反対で留学の叶わなかった一人の青年が居ました、宮崎光太郎さんといいます。彼も後に山梨ワインの歴史に深くかかわってくることになるのです。 さて、留学期間は半年ほど伸びましたが、明治十二年五月に二人は帰国し、その秋には二万七千リットルのワインを生産しています。この記念すべきワイン、商品として在庫を抱えたとき、ある問題に気づきました、それは、官業の産業振興では考えていなかった販売先をどうするかという問題でした。 (つづく) |
|||
| 第二話 | |||
| さて、山梨ではじめて造られた国産ワイン、残念ながら出来はあまり良くなかったようです。 津田仙さんという方が、このワインを飲んだ感想を残していらっしゃいました。この方、津田塾大学の創設者として知られる津田梅子さんのお父様で、自らも農学校を設立し、西洋農法の普及に努めていらした方です。 その中で、ワインの出来が良くないのは、原料ブドウの品質が悪いからだと、評論されています。農業を学ぶために海外へも渡っていた津田さんですから、あるいは本場のワイン造りを見る機会もあったかもしれず、ワイン造りに最も重要なのはブドウの栽培であることが、おわかりだったのかもしれませんね。 当時の日本では、ワインを造る技術や設備も充分とはいえなかったようで、実際、文献を見ても「明治三、四年頃、甲府で醸造された製品は、京阪地区へ移出していたというが、資本も少なかった上に、醸造方法が幼稚であったことから失敗し、明治九年に廃業した」と記されています。なんと、山梨で、そして日本で最初のワイン造りは、一度廃業の憂き目を見ていたのでした... 事業としてのワイン造りが廃業した同時期に、山梨県によって「県勧業試験場」が創設され、その中に葡萄酒醸造所が置かれました。 廃業と同時期の、県による施設の開設。あるいはテコ入れの必要を県も感じていたのかもしれません。 そして県勧業課の葡萄酒醸造振興により、現在の勝沼町の実力者たちが発起人となり、明治十年に「大日本山梨葡萄酒会社」が創立されました。 山梨県におけるワイン造りの、第二期の始まりです。 (つづく) |
|||
| 第一話 | |||
| 山梨の特産品って何?と聞かれて「ワイン」と答える人は、少なくないのではないでしょうか。では、なぜ「ワイン」が特産品になったのでしょう? まずは山梨の気候風土が、ワインの原料であるブドウの生育に合っていたため、ブドウがたくさん栽培されていたからだと思われます。 でもワインはブドウの加工品なので、ブドウからワインを造ろうとしなければワインにはなりません。それがいつだったのか。 ワインが日本に伝わったのは戦国時代、キリスト教を広めるために日本に来た、宣教師たちが持ち込んだのが最初のようです。 しかし、ワインを造ったという記録はなく、江戸時代に入っても文献に「ワインはブドウから造られる」という記述はあるものの、造ったのか造ってないのかは、はっきりしません。 ワインを造っていたという確かな記録が残っているのは、明治になってからです。文明開化によって生活の洋風化が進み、欧米の物を買ったり、同じような物をつくったりということが盛んになりました。ワインもその一つだったのです。 そして明治3〜4年頃、山梨の甲府でワインを醸造していた記述がようやく文献にあらわれ、これが日本で最初にワインを造ったといわれている記録です。 山梨でのワインの歴史の始まりが、それすなわち、日本のワインの歴史の始まりだったのです。 (つづく) |
|||
| ワイナリー訪問記 | 山梨のブドウ | 山梨ワインの味 | |
| ワインの豆知識のコーナーも、合わせてご覧ください | |||
浜松や酒販のトップページへ |
|||
| 山梨県産のワイン、地酒、地ビールほか、 お酒のことならなんでもお気軽にお問い合わせください。 浜松や酒販・酒のディアーズ (昭和店)TEL/FAX:055−222−9677 E-Mail:info@hamamatsuya.jp 他の店舗でもお問合せ受付中!店舗概要のコーナーへ |
|||